(71)宮沢賢治と野草    
2006年7月2日(日) 

 毎年夏号をお送りするこの時期はテニスのウインブルドン大会があってその試合を見るのと庭の手入れで忙しいのであるが今年はそれに加えてサッカーも見なくてはならないしさらに愛犬ハチ姫の介護が加わり本業のお仕事はその合間にしているといっても過言ではないのである。
  介護をしてみてしみじみ思うのは犬も人間と同じだということである。人間と犬を一緒にしてとお叱りを受けると思うのであるが本当に老いというものは同じで、だんだん目がかすみ耳は遠くなり足腰が弱ってくる。糖尿になったり心臓が肥大したり物忘れが始まるのもまったく同じなのである。最終的には食事をとって排泄をして眠るという赤ちゃんの状態にまで戻るのではないだろうか。もちろん全部の犬や人がそうなるわけではないが。

 話はがらりと変わるのであるが常々園芸種の立派な花よりも山野草に心惹かれるのはなぜかその理由がやっとわかったのである。園芸種は咲いているときはとても華やかであるがその散った姿があまりきれいでないように思うのである。チューリップやカサブランカやバラなどなど。華やかに咲いている分余計に散りぎわが目立つのである。そこへいくと山野草は人知れず咲き人知れず散っていく花が多く本当に奥ゆかしいのである。もちろんそうでない花もたくさんあるのであるが。

  またまた話は変わって最近「宮沢賢治」の朗読を聞く機会があったのである。本で読んだことはあってもさらりと斜め読みで読んだだけでその時はとりたてて世間の人が言うほど感動することもなかったのである。さあところが生の朗読で聞いた宮沢賢治は本で読んだものとはまったくもって別物なのであった。もちろん本の内容に加えて朗読がとても素晴らしかったということなのでしょうがすっかり感動したMrs.ケイトは何事にも感化されやすいとあってさっそく図書館から宮沢賢治に関する本を借りてきてせっせと読み始めているのである。これでまた合間のお仕事が減ってしまっていることにも頓着なしである。そして現実と理想は違うということにもこれまた無頓着ですっかり賢次にはまったMrs.ケイトは清貧の心を持ちつづけた賢次の生き方がどこか野草たちと通じるものがあると思えてきたのである。そして賢次のように物に執着せず、野草のように人知れず散っていけたらと切に思う今日この頃なのである。

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